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宇垣 纏(うがき まとめ) 1890年(明治23年)2月15日-誕生 海軍中将であった宇垣は、1945年2月10日に第5航空艦隊司令長官に任命され、沖縄戦の航空攻撃部隊の指揮を取ることとなる。 しかし既に日本軍には米機動部隊に通常航空攻撃をかけられる高性能機材も、機体数も、熟練パイロットの人数も揃えられなくなっており、主に特攻攻撃を主体とした攻撃法を取らざるを得なかった。 特攻して米国の戦艦に命中した戦闘機は100分の2の確立だったといわれる。 参謀としての評価は高いが、不十分な偵察情報と戦果の過大判断の末に桜花特攻部隊神雷部隊を全滅させ、菊水1号作戦として海軍特攻として過去最多の161機を出撃させたがこれも壊滅。 これを考えると指揮官としては能力は疑問符がつくと言われている。 燃料も物資もパイロットも殆どなくなった状態で、それでも一億玉砕の精神で10代の未熟な青年将校を特攻に送り出した宇垣の心中は、さぞかし辛い思いであったであろう。 それを証明するかのように、1945年8月15日の正午の玉音放送を聞いた後、特攻させた青年将校に言った、『オレも後から必ず行く』 の約束を守るため、艦上爆撃機彗星でポツダム宣言受諾後に自ら特攻した最後の軍人である。 離陸する前に撮った写真 で微笑んでいるような彼の表情を見ると、喜んで後輩の後を追っていくような姿に見えてくる。 宇垣の特攻での死は戦後であるため、海軍刑法上違法とされ殉難者とは認められず、現在靖国神社には合祀されていない。 郷里である岡山県護国神社の境内には彼と部下の慰霊碑が建立されている。 これぞ、武士の一分としか言えないでがんす。
by checkty
| 2007-08-20 23:20
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